「働く女性」の不妊治療生活

悩む、考える、暮らすこと

AEON

仕事始めは、明日からということで、今日は、PCをもって近くのAEONのスタバにこもって明日から始まる仕事の下準備をしています。

今月の採卵を見送ったので、今は、ただただ、自分の気持ちを安定させていくことくらいしか、努力はできません。

ところで、今日は正月明けの平日。週末はいつもごった返すAEONですが、今日は人もまばら~~。小さい子どもを連れた母子の組み合わせが目に付くらいです。

ベビーカーを押しながら、買い物と遊びを同時にこなして一日AEONで過ごす主婦たちの様子が目に入ってきます。子どもを欲しいと妊活中ですが、彼女たちの後姿を見て「いいな~、私も早くそうなりたいなー」とはなぜか、思えない・・・

彼女たちが、主体的に、やりたくて、その時間をいきいきと過ごしているようには見えないんですよね。

 

AEONの入り口で一緒になった、2歳くらいの女の子をベビーカーに乗せた20代後半くらいの女性。それからかれこれ1時間くらい過ぎたころ、買い物袋も下げず、まだぶらぶら、レストラン街をうろついているのを見ました。(スタバからトイレに行くときにその女性を目撃)彼女、なんと、喫煙室から出てきたんですよね、女の子を連れて。たばこの煙の匂いが漂ってきました・・・

時間をつぶしているとしか思えない。友達もいないのだろうか。。平日の昼間、密着した母子関係に囲い込まれてしまって、二進も三進もいかなくなってしまっている女性たち、どれほどいるんだろう・・・またその女性たちの下で育てられた子どもたちが将来、どんな大人になっていくのだろう・・・と暗澹たる気持ちになってしまいました。

私も子どもが欲しくて、不妊であることの毎日が辛く、不全感を抱える日々を送っています。幸せが対岸にあるような気がして、現在の自分に満足できないことがいっぱいありますが、それでも前向きにやっていこうと思えるのは、おそらく、仕事があって、自立できる給料をもらっていて、何があっても、最後は自分ひとりなんだ、という覚悟を決めようと(決まってはない)する意志があるからなんじゃないかなとも思います。

 

その女性に思わず、声をかけたくなりました。

平日、昼間のAEONには、憂鬱がいっぱいですね。私もその一つを吐き出しにきたところです。

 

 

 

 

 

 

 

 

生理痛

このお正月は、相方と二人水入らずで過ごしています。相方の故郷で過ごして、三が日過ぎに東京に戻ろうと思っていたのですが、、、、なんと12月31日に生理が早くもきてしまいました。(治療をしない周期はだいたい30~31日周期で生理がきていたので、治療をしない今周期もそうなるだろうと予想していたのですが、治療周期と同じ28日周期で生理がきました。9月からこれで毎月28日周期で生理を迎えていることになります)

 

この1月は治療の周期として身構えていたので、これじゃあ、お正月1月2日にKLCを訪れないといけない。しかも、排卵を迎えるころ、考えてみたら仕事が立て込んでいて、採卵の予定を組むのが非常に厳しい・・・

ということで、今周期も治療を見送ることにしました。11月の新鮮杯移植陰性から、12月、1月と治療を見送ることに・・・

今年はもうすぐ、36歳です。治療に焦りも出てきているところですが、一か月に一回のチャンス、丁寧に、納得しながら進んでいくしかないですね。

 

ところで去年の夏から始めた鍼ですが、少しずつ効果が出てきたようです。

この数年、生理痛がひどく、生理になった日は薬を飲んで、2時間くらい休んでいないと仕事にならないくらい重い症状を抱えていましたが、今回の生理も痛みはなく、すんなり経過することができました。先月くらいから、痛みが緩和されてきたような気がします。それだけでも、治療に踏み切ってよかったと思うところです。

シングルマザー/鍼灸師

先日、『何を怖れる―フェミニズムを生きた女たち』という映画を見ました。

1970年代の日本、ウーマン・リブを生きた女性たちが、その後、どんな人生を送っているのか。当日の様子を振り返りながら、70代の老齢期を幸せに暮らしているのか。それぞれの人生が記録されたドキュメンタリー映画(松井久子監督)でした。

 

映画の構成については、いろいろと言いたいこと募りましたが、一つ、今の私にとってのヒント、励みになったことがありました。

それは、この映画の中でもとりわけ注目されていた、田中美津さんの人生です。彼女は、当時、ゴリゴリのリブの闘志で、良くも悪くも日本社会に注目されてしまった人物でしたが、運動が下火になった70年代後半、日本を脱出してメキシコに渡ります。そこでシングルマザーとして子どもを産み育て、やがて日本に帰ってきますが、帰国後は、鍼灸師として生計を立てながら、その暮らしを送ってきました。

彼女は幼いころ、性的虐待を経験しており、「当たり前の女の人生」に違和感や疎外感をもって生きてきた人です。また虚弱な体質もあって、健康不安を抱えていました。

そんな彼女が、今、人生を振り返り、「幸せだー」と心の底から語るのです。

<虚弱体質だった私>、<シングルマザーだった私>、すべて、この社会の中では「ネガティブ」な要素と見なされることですが、その理由があったために、それを根拠として、それを逆手にとることで、人生の戦略とすることで、今の幸せを築くことができたと・・・・。今ではその経験は、彼女の幸せの布石だったということになるんでしょうね。

 

こういう人が存在しているということ、励みになりますね。

不妊に悩む今の私も、この不の経験が、将来の幸せをたどる道筋となるように・・・と願う気持ちになり、少し、前向きになりました。

KLCに転院すると決めた今年8月から通い始めた鍼治療。
一週間に一回、30分電車を乗り継ぎ訪れるこの治療は、メンタルを整える意味でも、私にとってとても大切な行事です。
今日もまた鍼をうってきました。

通い始めてから、体調の変化を感じたのは、足先の冷えの改善。夏場でも足は冷たく、じっとり汗をかく体質でしたが、その冷えに悩むことは減ってきました。

加えて鍼を受けて身体に出た変化といえば、11月に入ったあたりから、食欲が落ち、胃腸が弱くなったということ。こんな調子になるのは人生で二度目、かな。。気分がふさぎこんで、二進も三進もいかなくなった時期に経験していました。
私はむしろこの不調が、これまで食べ過ぎていた、ストレスでお酒をガンガン飲んでしまっていたリズムのチェンジということで、前向きに考えてたけれど、鍼の先生は、心配していました。

なので、今回の残念な判定の結果と、胃腸の調子は影響関係があるのか、聞いてみました。先生からは、部分、部分の関わりの中で影響を受けることもあるかもしれないが、それ程のものではない。それよりも、気持ちのもち方の方が影響すると言われました。

私は色々とがんばってしまおうとするタイプで、治療もあれがダメなら、これはどうかと悩み、動いてしまう、、こんな気持ちのあり方をあらためてみる方が良いというアドバイスでした。むしろ、何もせず、だらんと、ありのままの自分を受け入れてあげることが大事だーという意見でしたね。

今日は一つ、いいことが聞けたかもしれないです。(*^^*)
ただ、これって昨日ブログにUPしたKLCの治療方針とは対極の考え方ですよね。それが西洋医学と東洋医学の違う点なのかもしれません。いいとこドリしたいですね。

鍼に通い始めてからのもう一つの体調変化としては、生理痛かな。毎回、薬を飲まなくては仕事を続けられないほど辛い症状でしたが、今回は移植をした後だったからか、痛みがまったくありませんでした。鍼の良い効果だと信じたいところです。

鍼の前、近くのファミマに寄って、コーヒーで一服。日差しが眩しく、気持ち、少し、ふるっとなりました。まだ、サッパリとまではいきませんが、、、(*^^*)

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KLCの「覚悟」という診察

私が通院している加藤レディスクリニック(KLC)は、担当医というものがなく、診察の医師は毎回変わります。

一見、デメリットのように感じますが、それゆえ、病院の治療方針というものが明確にあって、毎回、ブレはありません。また、医師が複数いるため、相談のバリエーションももてて聞いたことには丁寧に答えてくれれます。よくいわれているような数秒診察ではありません。以前、かかっていた千葉の不妊クリニックの方が、それこそ診療時間、数秒でしたし、相談しても医師一人で回しているため、ろくな説明も聞けず、意味不明の状態で治療を受けていたように思います。気分がかなり入ってたなー。


なかでも、初回に見てくれた加藤先生の言葉がぐっと響いています。


不妊治療には覚悟がいる。覚悟ができないなら治療はやめたほうがいい」


年の差があるパートナーが診察に来るのに尻込みしてしまって、私が、どうしても夫に来てもらわないとダメですか?と質問したあとに、こんなサジェスチョンがありました。


また、初回に、子宮筋腫があることを指摘され、あっても妊娠には問題ないと思うが一度、近くの産婦人科←妊娠したらお世話になるであろう。に行って、その状態でも出産は可能かどうか診てもらってくるように言われました。


前の病院、その前の病院では、筋腫があることは指摘されても、そこまでは言われず「大丈夫でしょう」の程度でしたし、まだ妊娠していないのに妊婦さんのたくさんいる産婦人科に通うことがためらわれました。

まあ、結果、行ってみて、筋腫はとらずに治療を続けた方が良いという結論になったのですが、、、。


こうした指導方針、あとから考えれば、よく分かる、理解できるなーと。いずれも、患者の治療に対するコミットメントをうながしてますよね。

治療は結果がすべてですし、ガンバッたとしても授かれないこともある、いわば宿命にまかせなければならない、これに翻弄されてしまう辛さというのがあると思うんですよね。何が辛いって、自分の努力だけではどうにもならない、その理不尽な宿命に対して、愕然とさせられるわけです。


けれど、治療もこんなふうにその問題を「宿命」のせいにしない、自分自身の関わり方の問題として捉え直していくと、気持ちの持ち方は大分変わります。責任を持てるわけですよね。自分の身体に対して、主体的な関わり方をする。

これって、人が何か身体的な病気と向き合うときに必要な視点なんじゃないかなと思います。


ある意味、仕事に取り組む姿勢に共通するものがある。ような気がします(*^^*)


KLCの医師はそういう意味で、プロフェッショナルだなーと思います。










生理

今朝、トイレに行ったら、どうやら生理が来たようです。30日でリセットかあ。

9月から連続3回採卵で、すべて周期が28日だったので、少し安心。治療を受ける前は、30日周期だったので、生理はまだ順調にくるんだね。ありがとう。

 

妊娠できないことの辛さ、何に影響を受けているんだろう、、、。少し整理してみました。

 

1.子どもがいない未来に対する不安。孤独に耐えられないかも。←うちはパートナーが親ほども年が離れているので、このままいけば、一人になる可能性強い。

 

2.これも1に関わる理由だけど、弟夫婦に子どもができ、母親は孫フィーバー。近々、彼らは親の家の前に、家を建ててもらって越してくる計画に。親元から遠く離れて、親の反対した人と暮らしている私は疎外感。子どもが産まれたら、この関係が変わるのではないかという期待に応えられない辛さかな。

 

3.35歳も過ぎようとして、やっぱり、子どもはまだ?といわれる世間の言葉、視線に自分が強く反応してしまうこと。

 

4.今の仕事人生活を、ポジティブには受け止めていないのよね。朝から夜まで、家のことほとんど出来ずに、楽しめずに、心を囚われた生活に疑問を強く感じてる。子どもができたら、こんな生活にオサラバ、ケリをつけられるんじゃないかという甘い期待が叶えられないもどかしさ。

 

こうやってみてみると、3と4は自分の意志、力で解決していけるかもしれない。

1と2は、今の私にとってすごく難しい。過去を整理していかないとだめなんです。

 

最近、よく思い浮かべてしまうのが、膝の上に赤ちゃん抱えて、あやしている自分。赤ちゃんに大丈夫だよー、安心しなよー、ヨシヨシってやってる。きっと、そうやって、私自身があやされたかったんだろうな。。。赤ちゃんにはぜったい、そうしてあげるのに、幸せに育てられる自身があるのに、辛いっ>_<

 

 

 

 

朝起きても、電車の中でも、夕食後も・・・

体外受精3回目の失敗、その判定を聞いてから数日。次回の処置までにだいぶ時間ができしてしまったことからも、やたらと考えてしまう。

採卵のためにホルモンの薬をのんで、採卵して、受精ができていたら移植して・・・のサイクルの中で、一段階でもステップをあがり、病院に通っているときの方が気持ちは楽だよね。

朝起きて、フェイスブック見て、友達の近況さらっと追いかけて、仕事のメールが入っていないかメールチャックをして・・・と一連の流れにのって、次には「体外受精、3回失敗」「体外受精 何回で妊娠」「体外受精 失敗 原因」なんていうワードをググって、検索魔と化しているここ数日。生産的なじゃないことわかってても、この依存から抜けられない。

とっても病んでる。辛いんだ。辛いこと、認めてあげないと。

不妊治療できるだけで幸せだ」「夫がいて仕事があってたまの贅沢ができて・・そんな身分で不満をいっちゃいけない」「不満をいったらきりがない。今の自分に満足するんだ」・・・・・っていう慰めは、いりません。

 

結婚したばかりの弟のところにできた孫の自慢をする母親との関係もしんどい。

来年の人事にむけて仕事の変化があるかもしれない仕事人生活の毎日もストレスフル。

家に帰ってここ数日、風邪で寝込んでいるパートナーの夕ご飯をつくることも億劫。

好きだった晩酌も食が進まず。ごはんも美味しいとは感じず。

すごく落ち込んでいる。